2024.04.28 | 強迫性障害全般
強迫観念に勝とうとするな!悪化しやすい2つのパターン
こんにちは。鈴木です。
強迫観念に打ち勝ちたい。
多くの人はそう思っているはずです。
それがダメではないし「強迫に勝とう!」みたいに解説する書籍もたくさんあります。
しかし勝とうとすることがむしろ悪化要因になることもあります。
今回は強迫観念に勝とうとすると悪化しやし2つのパターンと対策について説明します。
かなり多くの人に当てはまるのではないかと思うので強迫症で悩んでいる方はチェックしてみてください。
①強迫観念に理屈で勝とうとする
「○○だから大丈夫なはず」と理屈で納得させて勝とうとしていませんか?
例えば車の加害強迫がある人が「ぶつかったら音や衝撃でわかるはず」と頭で言い聞かせることありますよね。
理屈の上ではそうなんですが「それなら安心」と加害強迫が良くなった、となっている人は少ないかと思います。
「さっきの音はぶつかった音では」と音に敏感になったり「音や衝撃に気づいていなかっただけでは」と強迫観念からの反撃が始まります。
エイズが不安な強迫観念がある場合「エイズは単に接触したり、空気中での感染はしない」という正しい理屈を得たとします。
しかし「万が一のことがあったらどうしよう」「傷口があって、そこからウィルスが侵入したらどうしよう」などいくらでも感染したかもしれない理由を考えだします。
正しい理屈を知っておくことで「絶対に不安なことが起こる」という考えの確信度が低下して不安なことにチャレンジするきっかけになることもあります。
しかし100%大丈夫だと安心を得ることはできないため、なかなか前に進めなかったり「絶対大丈夫な理屈」を探し誰かに確認したりネットで調べたりと新たな強迫行為のようなものが作られることも多いです。
強迫症で悩んでいる人の多くは理屈では不安なことが起こる可能性が低いとわかっていても、なかなか一歩踏み出せないのだと思います。
このように理屈で強迫観念に勝とうとしても、すぐに強迫観念から言い返され終わりがありません。
不安なことが起こらない可能性をゼロであると証明することができないのです。
それどころか、どんどん安心求めるような行動が増えたり、頭の中でずーっと議論していたりして、悪化しやすいです。
②不安を無くすために曝露をする
強迫症は苦手なことにチャンレンジをしていく「曝露」が有効なことが多く、曝露により不安がマシになっていきます。
ただ「曝露して不安を無くそう」「強迫観念が出てきたら曝露して出てこないようにしよう」など「不安が出てきたら曝露して強迫観念と戦い続けよう」「不安を撲滅するんだー」という発想になることがあるのです。
これが悪化傾向へと向かってしまいます。
強迫観念は強迫症じゃない人でも浮かんでくる考えです。
不快ではありますが、危険なものではありません。
強迫観念は記憶に残るため忘れることはありませんが、不安を感じたとしても、そのままにして囚われずに生活していれば問題のないものです。
それを「強迫観念=悪」として不安を無くすために戦おうとしたらどうなるでしょうか?
わずかな不安に対しても「曝露して戦わなければ」と考えます。
強迫観念を忘れることはないので、永遠に戦い続けることになるのです。
これは「曝露をしたら不安が下がっていく」という情報を見たり聞いたりして「曝露によって不安は無くなるのだ」と考えてしまう人に多いです。
強迫観念があるうちは「治っていない」と考え、不安がわずかでもあることが受け入れられず、曝露で不安をゼロにしようと考えます。
曝露という行為が強迫行為のようになることもあります。
不安が残っていたり、後で不安が復活すると「曝露が失敗した」と感じやすいです。
不安になることを過度に恐れるようになるのです。
対策
理屈で反論したり、不安を下げようとしたりしてしまうと強迫との終わりのない戦いになります。
調子のよいときは勝てることもありますが、調子が悪くなるとダメになることを繰り返します。
このため強迫観念と戦おうとするよりも、戦いはやめるイメージの方がよいかもしれません。
強迫観念に理屈で勝とうとしなくても、不安があったとしても、強迫観念の言っていることに従う必要はないし、自分の好きなことはできるんだよーって体験することが大切です。
また曝露によって不安は下がると考えるのではなくて、曝露で不安に強くなる、不安があっても振り回されずに生活できることを学べる、と考えてみましょう。
強迫観念を受け入れやすくなり症状も軽くなるきっかけになる可能性があります。
まとめ
今回の結論は以下になります。
・強迫観念と理屈で戦わず、戦いをやめる
・不安を無くす目的で曝露をせず、不安はありながらも振り回されないことを目指す
知らず知らずのうちにやってしまう人が多いのでチェックしてみてください。