2019.02.03 | 強迫性障害全般
「強迫観念は脳の誤作動」「強迫はウソ」と考えるのは有効か?
こんにちは。鈴木(@komayamaco)です。
書籍などで、強迫観念が出てきた時に
「強迫観念はウソだから恐れる必要はない」
「脳の誤作動だから何も怖いことは起こらない」
と、考えましょう、という対処が書いていることがあります。
時々、このような対処が有効かどうか?という質問があります。
結論からいえば有効なこともありますし、注意点もあります。
今回は強迫観念を「これは脳の誤作動だ!」「強迫はウソだ」と考えることが有効な場合と注意する場合について書きます。
動画バージョンはこちらです。
「脳の誤作動」と考えるのが有効な部分
「強迫は脳の誤作動だ」と考えることは有効である部分があります。
脳の誤作動だから
・怖いことが起こるわけではない
・気になっているだけだ
だから
・脳の誤作動に振り回された行動(強迫行為)をとる必要はない
という流れにもっていきやすくなります。
本当かどうかは別として「何で強迫観念が浮かんでくるのだろう」という疑問に「脳の誤作動だ」という理由づけにもなるでしょう。
似たようなもので「これは強迫観念だ!」と考えましょうというものもあります。
「強迫観念はウソだから、だまされるな!強迫行為はしなくていいんだ!」ともっていけます。
このように考えることで強迫観念に対して
「脳の誤作動だから、確認しなくてもいい」
「強迫のいうことなんか聞かなくても不安はいずれ薄まるから手を洗うのはやめよう」
と、対処方法を考えやすくなります。
強迫は「脳の誤作動」と考えるくらいではビクともしない
ところがここで問題が起こります。
強迫の反撃です。
「これは脳の誤作動じゃないかもしれない。手洗いしないで誰かが死んだら大変」
「この間は強迫観念だったかもしれないが、今回は違うかもしれない」
と、考えてしまうのです。
これも強迫観念なのですが、気づかない人も多いです。
だんだん「これは強迫観念なのか、フツウの不安なのか」と考え、前に進めなくなるのがよくあるパターンです。
人によっては「今考えたのは強迫観念なのか?」と考え、何か考えるたびに強迫観念かどうかをじーっと考え、動けなくなる人もいます。
これも強迫行為をしているのです。
カウンセラーなどに「これは強迫観念ですか?」と一つ一つ聞かないと不安なことに挑戦できなくなっている場合は要注意ですね。
「強迫観念じゃなかったら大変だから、不安に挑戦するのは確認してからにしよう」ってのは強迫行為ですからね。
「強迫観念は脳の誤作動」と考えただけで「脳の誤作動と考えるようにしたら、強迫行為をしなくなって治りました」って人は聞いたことはありません。
役に立つ手段なのですが、それだけでは強迫は治らないのです。
やっぱり強迫を克服するコツはコレ
この問題を解決するためには、脳の誤作動かどうか、強迫観念がウソかどうかを実際にやってみることです。
「脳の誤作動ではないかもしれない」という強迫観念に挑戦するのです。
強迫観念が言っていることとは逆のことをやってみるとよいでしょう。
強迫が「ドアノブに触って手を洗わなかったら、ウィルスが広がって誰かが死ぬよ」「脳の誤作動じゃなくて本当のことだよ」と言ってきたら、「ドアノブに触って手を洗わない」ということをします。
実際に行動してみて誤作動であることを体験するとよいです。
一回だけでは「死ななかったのはたまたまかも」と考えるので、何回もやってみるとよいです。
しかし、多くの人は「脳の誤作動だ」と考えることは乗り気でも、実際に怖いと思っていることを実行するとなると途端に怖くなりますよね。
よーく考えてみましょう。
「脳の誤作動」といっておきながら、避けたり、強迫行為をやってしまうのは矛盾しています。
「幽霊なんかいないぞ」と言っておきながら夜の墓場はいけない、って言っているのと同じ。
幽霊がいないことを確かめて実感しなくてはいけません。
しかも、一回だけでは「次は幽霊いるかも」となるので、夜の墓場に何度もいったりしなくてはいけません。
体験していないうちは幽霊の不安はとれないのですよ。
まとめ
「脳の誤作動だ」「強迫はウソだ」と考えるのはそれなりのやりやすさはあるものの、結局は不安なことを実際にやってみることが必要なのです。
このほかにも様々な心持はあるものの、結局最後は自分が苦手なことに直面することになります。
もしかしたら「こんな風に考えたら良くなるよ」「こんな風に考えたら苦手なことをする勇気がでるよ」という「心持ち」を探している人にとっては、つまらない記事だったかもしれません。
しかし、「心持ち」だけでは強迫は良くならいことを受け入れていくことは必要です。
頭で考えるのではなく、積極的に不安に飛び込んでいくようにしましょう。