2015.12.27 | 確認・加害強迫
強迫行為をしなくても安心できるようになりたいって思っていると強迫が良くならないワケ
こんにちは。鈴木です。
よくある質問です。
実はこの発想が強迫のワナかもしれません。
良くなるってことは強迫行為をしなくても安心できるようになることではありません。
安心するかどうかの発想から抜け出すことなんです。
安心を求めれば強迫にとらわれる
安心を求めようとすれば、さらに不安になるのが強迫。
この質問って安心できるようになることを期待しているし、強迫にとらわれているんです。
「鍵をかけた感覚がわかるようになって安心したい」って。
安心を求めているのでもっと強迫にとわられます。
鍵がかかったかどうかの手の感覚や、「カチ」って音を必死で感じようとしていませんか?
確認中に誰かに話しかけられたり雑念が思い浮かぶとやりなおしていませんか?
安心の感覚を求めようとするともっと強迫行為をやりたくなるはずです。
決して安心することはない強迫のワナ。
「普通の人はどう安心しているの?」「以前の自分はどう安心してるんだろう」「1回だけ確認して安心しよう」
この発想がうまくいかないのもわかりますよね。
どうやったら安心できるか?から決別しましょう。
じゃぁ、良くなるってどんな感じなの?
治療を「確認しなくても何も起こらなかった」と頭で安心することだと思っている人がいます。それは間違いです。
「次はどうかわからない」と不安になります。
不安に慣らす練習が認知行動療法です。
鍵をかけたかどうかなんて「どーでもよいこと」ってなるといいですね。
不安があってもほっとけるようになるのが改善につながります。
決して鍵をかけた感覚があって安心!を目指してはいけません。
そもそも強迫になる以前は鍵をかけたかどうかいちいち安心していなかったハズ。
意識するようになったからこだわるのです。
じゃぁ、良くなる感覚ってどんな感じなのさ!って疑問がでてくるかもしれません。
良くなってきたら感覚がどうかどうかそんなものについてイチイチ考えないようになってます。
「鍵をかけたかどうかどーでもよいことじゃない!万が一何かあったらどうするんですか!」
って思ったらこちらをお読みください。
確認しなかった後、本当に何かあったらどうするの?
今回のまとめ
どうやったら安心できるか?
まずこの発想が悪循環になりやすいのです。
安心を求めるのが強迫だから。
良くなるってことは安心かどうかにこだわらなくなること。
そのためには一時的な安心を求めず、不安に慣れていきましょう。